門派簡略

【1904】
初代宗家末永節は頭山満、宮崎滔天らと図り、孫文が南京臨時総統に選ばれたいわゆる第一次革命に遂行のため、清朝末期の中国に渡り、孫文直系の武人と親交を持ち、中国武芸の見聞を広げるとともに自ら中国武術の研究と練磨に没頭される。


初代宗家末永節先生【1912】 
初代宗家末永節の武術家としての実力、功績が認められ当時中華民国政府の武術の統率者であった楮民誼(勲一等旭日大綬章受章、外務大臣、南京政府行政院秘書長、訪日特使などを歴任)より嵩山少林寺に伝わる名棍源流、小夜叉、 大夜叉、陰手、破棍第一路譜、破棍第二路譜、破棍第三路譜、破棍第四路譜、破棍第五路譜、破棍第六路譜、 破棍又二路譜、破棍又四路譜、破棍又六路譜、 五十五勢図及び少林の別支五台山清涼寺に伝わる魯智深秘書、酔拳、開山拳、瘋魔杖の拳杖を贈られる。


【1952】
末永節は頭山満の紹介を受けた森實善右衛門次男、森實芳啓に中国で修められた少林拳棍の武術を伝授、併せて自ら修得されていた武田流合気術及び神道夢想流杖術も加味、後生に残すべく再編成しその名も少林拳法と改められ、初代宗家となる。


2souke.png【1960】
初代宗家末永節 8月18日92歳の生涯をとじられる。
森實芳啓が二代宗家に就任される。


2souke-banpaku.png【1970】
日本万国博覧会で、二代宗家森實芳啓が九州のすべての武道界をまとめられ、また少林拳自らも三度にわたりお祭り広場で表演、高い評価を得る中、万博出場を記念してその名も「全日本少林拳武徳会」と改める。


【1981】
中華民国台北市国術会主催「中正盃国際武術観摩大会」が台北市で開催、中山富生師範をはじめ出場し冠軍(優勝)を勝ち取る。
二代宗家森實芳啓と武園集団総裁黄善徳閣下は結盟式を行い義兄弟の盃を交わす。

【1983】
第一回世界武学連合総会の「建国72年国花盃武芸較技観摩大会が台北市で開催、世界より36ヶ国が参加。わが少林拳も二代宗家以下80余名で出場し、宗家表演は最優秀グランプリに輝き達士の称号を贈られ、また門下の表演も団体の部において準優勝となる。

【1985】
世界武学連合総会総裁黄善徳閣下他15名が訪日され、少林拳の大会会場にて二代宗家に世界武学連合総会より哲士の称号が授与される。

10danzouyo.png【1988】
世界武学連合総会の第1回有資格者十段審査会が行われ、2代宗家森實芳啓に世界初の十段位が「八徳杯國術邀請賽大會」の大会会場で台湾国内はもとより世界36カ国の多くの武術家の前で授与される。 


3souke-2.png【1997】
3月2日二代宗家森實芳啓は71歳で急逝。
子息森實修司が三代宗家森實芳啓に就任。