少林拳の起源
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184年
後漢時代
華蛇という人が虎、鹿、熊、猿、鳥の闘争法を取り入れた『手搏(しゅはく)法』を編み出した。
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220年〜
280年三国時代
白玉峯という人が、龍拳錬神、虎拳錬骨、豹拳錬力、蛇拳錬気、鶴拳錬精の五拳を練習目的の異なった『白打法』として大成した。一方拳と並び棍の法(棒の法)も三国時代の初期頃より集成され始めた。
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627年
唐の時代初期
曇宗という人が、棍の道祖として現れ、少林棍法闡宗を大成した。
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750年
唐の時代
覚遠という人が、今でいう東洋医学に基づく十四の経穴を利用した『少林拳』を集大成した。
少林拳武徳会の源流となった『少林棍法闡宗』と『魯智深拳譜』
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589年~
1279年隋・唐〜宗の時代
中国の武道三山といわれる嵩山(達磨大師の面壁九年で有名)、五台山(水滸伝の豪傑魯智深で有名)、武当山(太極拳張三宝で有名)が武の発祥地として栄えた。
武徳会の歴史
初代末永節
初代末永節は玄洋社社員として頭山満、宮崎滔天らと図り、孫文が南京臨時総統に選ばれたいわゆる辛亥革命に関与。その後孫文が広州に中華人民政府を樹立していくのとあわせて孫文直系の武人と親交を持ち、中国武芸についての見聞を広げるとともに自ら中国武術の研究と錬磨に没頭されました。
その過程をつぶさに見ていた中華民国武術統率者であった褚民誼は、末永節が帰国する直前嵩山少林に伝わる少林拳棍五五図および松林の別史五台山清涼寺に伝わる「魯智深秘書」、酔、開、瘋魔の拳杖を記念として贈られました。
1952年、末永節は、頭山満の紹介を受けた森實右衞門次男、森實芳啓に中国で修められた少林拳棍の武術を伝授。併せて自ら習得されていた武田流合気術および神道夢想流杖術も加味、後生に残すべく再編成しその名も少林拳法と改められ、初代となられました。
左から末永節、内田良平、宮崎滔天、右端が孫文
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1952年
「少林拳法」初代宗家
初代宗家
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1960年
「少林拳法」二代宗家を襲名。
二代宗家
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1970年
日本万博博覧会出場・表演
「全日本少林拳武徳会」に名称変更。
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1980年
台北市國術会世界大会に於いて、少林森實派(せんすうは)として登録される。
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1988年
世界武学連合総会の第一回有資格者十段審査会が行われ、二代宗家森實芳啓に十段位が授与される。
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1997年
三代目宗家森實芳啓襲名。
三代宗家
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2006年
「二〇〇六年全國菁英盃大会」に参加、型や乱取りの部で優秀な成績を収め、「総合優勝」を受賞。
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2009年
菁英盃大会開会式で、森實宗家に台北市國術会より
「國術栄誉九段位」が授与される。 -
2017年
四代目宗家森實芳啓襲名。
四代宗家